
私の思想が「お花畑」的 平和理想主義だと遠回しに批判して、こっそり去っていった友人がいる。
厳格なキリスト教徒。熱心に原理をとことん追求して、自分の意見や正義感を持ってはっきりと他宗派を正当派ではないとしているから、それで彼の心の中に平和が訪れるのであればそれでいいと思う。
私は、平和を手に入れるための戦争というのは、正義感からくるナンセンスだと思っている。平和のために戦うっていうの。自分の宗教が一番正しいっていう立ち位置も。戦争反対、No more warっていう反戦運動も。全て正義感が根本にある。
映画でもかなりの刷り込みがされているのだと思う。正義が勝つシナリオの映画。悪人が善人によって征伐されて、スッキリした〜というオチの映画。
アメリカに住んでいると、私の友人たちがトランプ大統領へ向けて中傷非難をソーシャルネットワークでシェアするのをよくみるけれど、トランプ大統領をHaterに仕立てて、I hate him. と言っているんだよね。じゃぁ自分もHaterだよね???
この自分の中の不一致。どうする? 自分の不一致なのに、他人の不一致として見る眠った目。これを見破れないと、真実の平和って体験できないのではと思う。
これは社会的規模の大きな不一致に見えるけど、自分の心にある不一致でもある。
私も相当強い正義感を内に秘めているのに気づいた。厄介だね。それが表層意識に現れるたび、片っ端に手放すワークをするようにしてる。
善悪で裁こうとする心は、本来の私の周波数ではないから。自分の深層心理に潜む、自分を善悪で裁く正義感をまず先に手放していく。これは全然「お花畑」的なフワフワしたワークではなく、自分の中と対峙し、着実に本当の平和の「お花畑」へ向かうとコミットした人の人生ワークである。
3 thoughts on “お花畑ですが、何か?”